ブルゴーニュのワインとの出会いで私マダム櫻子の人生は変わった
マダム櫻子の人生を変えたブルゴーニュワイン「オスピスMadame SAKURAKO」について語ります。
オスピス・ド・ボーヌの競売会。私マダム櫻子が一樽購入
いきなりですが、私マダム櫻子はワインのラベルに石川県七尾市のマダム櫻子の名前を入れることが出来ました。ボーヌの新聞記事に落札者の名前が載り、3年連続石川県七尾市のマダムSAKURAKOやりました。
ブルゴーニュのボーヌの地区での赤ワインの特級畑は、コルトンのみ。
天候に恵まれ、最高の環境で育った健康なぶどうでとっても豊かなワインが出来ました。
20世紀から21世紀への変遷に現役でワインの仕事にたずさわり乍らきっちり立ちあえた証として、購入したわけです。
これほど豊かで長期熟成をのぞめる偉大なワインにマダム櫻子のタイトルをつけられたこと、とても光栄です。ただいま(2022年)上品に正しくフランスワインのエレガンスをまとって熟成中。美味しいですよ。
オスピス・ド・ボーヌの競売会。千年紀に私マダム櫻子が一樽購入に至るまで
あの頃(20年ちょっと前)は私も若かった!目にするワインの全てが脳を刺激し、ワインの産地、村名、畑名、作り手名とあふれんばかりのアルファベットがとびかって貪欲に吸収しておりました。
時代もまだまだ鷹揚でキリスト教圏の人々にとっては生きるか死ぬかのミレニアム直前・1000年紀にそうそう出会えるものではありますまい。
私マダム櫻子が初めてフランスに行ったのが1997年、その2年後の1999年は正しくミレニアム・フィーバー。
どこもかしこも2000年の文字を刻んだローソクなどグッズが幅を利かせ確かに20世紀から21世紀につなぐ特別な時代の移り変わりに立ち会える!これは凄い事!
1900年代最後の1999年。20世紀最後の2000年。21世紀最初の2001年。
この三年間生きて、ワインの仕事に携わり、千年紀に立ち会えた証として私マダム櫻子の名前を冠したワインを購入しないかと、当店の担当兼ワインの師匠のSソムリエからオスピス・ド・ボーヌの競売会のワイン購入を勧められのっちまった訳です。
一樽225L、フルボトル換算で300本
1999年は競売会の提唱者ニコラ・ロランの妻、ギゴンヌ・ドゥ・サラン
2000年がポマールオスピス・ド・ボーヌ・コルトン2001マダム櫻子特級畑コルトン
最高の締めくくりです。
ラベルにMadame SAKURAKO a NANAO ISHIKAWA
ラベルには落札者の名前
Madame SAKURAKO a NANAO ISHIKAWA
(石川県七尾のマダムサクラコ)
と表記されました。オリジナルラベルです。
3年ともブルゴーニュのボーヌの新聞にワイン名と落札者名が載り、私、日本航空や高島屋と並んで記載されたわけであります。
ワインは全て一年の熟成を経て、日本に入荷。
その一年の間に店内に併設してワインセラーを準備。
10畳以上の部屋でこれがかなりのワインが入るんです。
1999年は、フルボトル6本入りの木箱に入ったものとマグナムとハーフで入荷
2000年は、フルボトル6本入りの木箱に入ったものととマグナムの木箱入り20本
2001年は、コルトンはフルボトル6本入りの木箱に入ったもののみ入荷
現在
1999年のギゴンヌ・ドゥ・サランはお預かりしているマグナム数本のみ
2000年のポマールはマグナムのみ少々在庫アリ。
2001年は私のセラーに入って以来今日まで静かに熟成をすすめフランスワインのエレガンスをまとってブルゴーニュの魅力を高めています。フルボトルの在庫は沢山あります。
自慢話と取られてしまうかもしれませんが、このようなご縁を得られたことに改めて感謝し、ずっとセラーに眠らせておくのはもったいないと思い皆様にお勧めすることにしました。
マダム櫻子がオスピス・ド・ボーヌのワインを勧める理由
昔よく耳にしたのが最後はブルゴーニュのワインだよね!と。
その時私にはわからなかった。遥かにボルドーの方が魅力があった。
カベルネソーヴィニョン、メルロー、マルベック、カベルネフランなどのブレンドによる個性のきらめきがハンパなく、とにかく華やかで、艶やかで、今でもボルドーワインは大好きでボルドーのワインには思い入れが深い。
数々のフランスの歴史的災難にあってもボルドーは貿易港のおかげでワイン作りだけではない膨大な収入源があり、ハンパない財力をバックにいかなる困難からも逞しく生き抜いて今がある。
フランス革命時教会と貴族迫害され畑の所有権を小作人に渡されても一人で税金を支払えず、ワンホールのケーキを何人分かに切り分けるように一つの畑を数人で諸州してたためかくも複座くなややっこしい所有者になってしまったわけで、確かに現地を訪れるとボルドー所有者達の派手やかさは見られない。
だが、ブルゴーニュのワインには中世以前、遥か昔からのブルゴーニュの大地と葡萄の関係を突き詰め育て上げ、現在に至る歴史の重みを痛切に感じる。
華やかで派手さはどこにも見当たらず、地道で土地に根差した誠実さと実直さの農夫そのもの。
キングオブワイン→ブルゴーニュのピノノワール
クイーンオブワイン→ボルドーのブレンド
ワインの仕事を始めて40年経ちそれがようやくなるほどなぁ~わかってきた。偉大なるピノノワール
このワインを入荷して21年の月日が流れた。
味わいに厚みが出ている。ましてやこのワインはコルトン。ボーヌ唯一の特級畑。ぶどうの質も出来も格段に優れている。
20年以上の熟成を経た得難いワインになっている
半端のない旨味、ハンパのないコク
是非とも経験したもらいたい!
オスピス・ド・ボーヌとは
慈善病院から生まれたブルゴーニュの至宝。
オスピス・ド・ボーヌとは、1859年から続くワインのチャリティーオークションにより、その名が知られていますが、もともとは、ブルゴーニュの中心都市ボーヌにあった慈善病院のことです。
今では、病院としての機能は、別の施設に移されましたが、1443年に設立されたこの病院は、中世から20世紀の半ばまで恵まれない貧しい人々に医療サービスを施してきました。
その間、近隣の貴族などからぶどう畑が寄進され、その畑から生まれたワインの売り上げがオスピス・ド・ボーヌの運営を支えてきました。
オスピス・ド・ボーヌのオークションは毎年11月の第3日曜日に開催され、
落札価格はその年のブルゴーニュワイン全体の取引価格に大きな影響を与えるといわれています。
また、通常のボトル売買とは異なり、樽単位でワインが売買されるのが特長のひとつ。
落札された樽は、落札者が委託したネゴシアンによって樽熟成から瓶詰めまで管理されます。
オスピス・ド・ボーヌを見学して
あれは10年位前になるか、秋の事。
リヨンから北上してブルゴーニュ入り、ボーヌに宿をとり二泊
畑はもちろんの頃ボーヌの街も堪能。
街の中心から少々奥にボジョレーヌーヴォー解禁日に大いに盛り上がるワインフェスティバルの中心、ホテル・デュがあり、ここはかつての修道院跡。
オスピス=ホスピタル。ボーヌの慈善病院の事で、身寄りのない貧しい人、行き倒れなどを収容し、ベッドと食事と薬とを無料で与えその一年間の経費を教会に寄進された畑からのワインを競売会にかけてその収益を当てよと、大法宮ニコラ・ロランが提唱しずーーーーっと続いていた。この病院に入るための資格は貧乏であること!
幾何学模様の屋根が有名な教会。見学してみた。
病室の奥には祭壇があり、左右に病人のためのヘッド・テーブル・イスがずらりと並びカーテンで仕切られている。具合の悪い人はベッドにいたまま毎朝・夕の礼拝に参加。よく見ると部屋の真ん中あたりだったか床に下に小川が流れており、その水は隣の厨房に流れ、厨房では大鍋。その隣の部屋には医療用器具と薬草。入所条件が極貧なのだが、街の優秀な医療機関であるため金持ち用の特別個室もありました。
これらは2008年にオスピス・ド・ボーヌに行ってきた時の写真です。
新酒も出来たら中庭に樽が運ばれ入札。私の1999,2000,2001は私が現地にいき参加したのではなく、ボーヌの街に本拠を持つネゴシアン、レーヌ・ペドークに買い付けを依頼。
一樽は1バリック225L、750ml換算でほぼ300本。この三部作を迎え入れるために店舗横付けにワインセラーを設置したわけで、入れ物が大きいとワインは沢山入り、これはこれで嬉しい反面、どえらい事でもあります。
地元の問屋さんの社長さんが私のセラーに入って「お前、大丈夫か!これは・・・」ってなこともありました。
マダム櫻子ブルゴーニュへ行って感じたこと
ブルゴーニュの黄金の丘
お天気の良い日に丘のふもとの道を走っていると本当になだらかな丘が続いていて、ところどころに小さな村が現れ、村の中には必ず高い尖塔を有する教会が。確かに教会の僧侶たちが村のワインの質の向上に多大なる献身をし続けてきたのだろうと思われます。畑もボルドーのようにひと塊や広大ではなく、あちこちに分散してあり、主は朝から晩まで畑に。
その両手は大きく節くれだち、葡萄の色に染まって、そしてあたたか。
日曜日には家族と一緒に教会に行き、教会の聖歌隊のメンバーでもあり、誠に清々しい。
10Cには教会の修道僧たちはテロワールの良しあしを体感しており、一つの区画の畑の中でも特にすぐれたぶどうを収穫できる場所があると理解。
その場所には塀を立てたり、石で囲いを作ったり、どこでも一緒ではない特別な場所を決めていたから昔の人は凄い!
あのロマネコンティの畑(もちろん石垣で囲まれています)の前の道路。これか結構な利用度の高い道でひっきりなしに大型・普通車がスピード落とさず駆け抜けていくのでなかなかのオットット!あぶねぇ、あぶねぇ。
何の看板も出ておらず知る人ぞ知る畑。ぶどうの一房の値段はいくらくらいになるのでしょうか。一房1キログラムからおおよそ750ml1本のワインが誕生。げぜわな私はさして広くもない畑の葡萄の木の数を数えたくなりましたが、この畑から何歩か歩いたお隣の畑のワインが、ロマネコンティの価格の1/10~1/30になるのだから地面の下の土壌成分が違うのだろうが、いやはや何とも・・・・
それもこれも神様の思しめし、テロワール様々です。
ロマネコンティのワイナリーの建物から緩やかなのぼり坂を歩いていくと(屋並がなくなったあたりからの一本道)両側にもぶどう畑、突き当りがガンガンぶっ飛ばす車道で真ん中に石垣で囲まれたロマネコンティの畑。この石垣によじ登り、座ってみたり立って目印の十字架に手をかけて写真をパチリ。皆さんやることは同じみたいですね。
このあたりの畑を歩いてみると、崩れかけた石積みの塀とか門までつけた塀垣とかいわゆる「クロ」を感じる場所に沢山出くわし、何百年も前からその土地に関わる一族に代々受け継がれている特別な畑。と、石ころ一つにも価値がありそうな厳かな場所と認識できます。ぶどうの樹が整然と並び圧倒的なプランテーション。
農園と化しているボルドーの雰囲気とは全く異なり黄金の丘のふもとから見上げればシャルドネ、ピノ・ノワールがあたかも市松模様に植わっているのですが、収穫後葉が紅葉してくるとピノ・ノワールの葉は赤く、シャルドネの葉は黄色く紅葉し、誠に丘の赤と白の住みわけが、はっきりわかり、なるほどなぁ~、そうなんだ!と感じとれます。
フランス革命がもたらした狂気の結果
フランス革命後、貴族、教会が民衆に弾圧され、散り散りになり、革命後の新体制ができ、畑を小作民たちに払い下げられた時高額な税金を支払えず、やむなく一つの畑を同族の中の数人で分け合い、その中の所有者の一人が亡くなると、その一区画分を細分化して相続税を支払う。そうやって代替わりするたびに相続人が増え、ワインの名前が複雑になって今がある。
同じ革命の嵐を受けたにもかかわらずブルゴーニュとボルドーの違い
同じ革命による修羅場はフランス全土のワイン産地が被ったのにブルゴーニュの複雑さとは対照的にボルドーの明朗さは何とした事か!
ボルドーの場合、革命以前から海上交易が盛んで、ボルドー港にはずらりと船主の船会社・倉庫が並び、アフリカ、インドから東アジアのスパイス染料工芸品などなど、オリエンタルな商品がいっぱい。ここでは入港税、出港税もダブルで入り、ブルゴーニュとの違いはお金が潤沢で革命後の税金も誰に頼らずとも一人で支払えた。代替わりの相続税等も一人で支払えた。そして現在に至る。それだからの畑ー所有者の分かりやすさがついてくるわけ。
ボルドーは明解
ブルゴーニュはちと苦手。
ホールのケーキを四人で分けて、さらに1/4を5人で分けてとやってれば事情通に聞かないとが何が何だか。そこへもってきて、畑名、クロの畑名もあったりなかったりでブルゴーニュは神秘的。
ブルゴーニュのテロワール主に天候について
ここブルゴーニュの問題は毎年の天候不順。
5月~6月の遅霜、8月の嵐。葡萄の生育サイクル(発芽から収穫)の3月末~10月上旬のうちの2回大きなリスクに見舞われるわけでその規模も近い所では2016年のシャブリの遅霜で、80%ほどのぶどうが死滅。とんでもない災厄です。
それ以外でも確実に遅霜・嵐による被害が大なり、小なり毎年ふりかかる。遅霜は、能登半島・穴水の能登ワインさんでも毎年見舞われ5月の連休ごろの天気図は私も見入ってしまいます。
斜面のひときわ低くくぼ地のようなところには冷気がたまりやすい。
白い魔の手は地面を這い、樹にも這い上がり、そこに新芽が出ていたらその芽をも丸ごと氷でコーティング。朝、日の出とともに太陽の光が、氷のレンズを通して新芽に一直線。あっという間に中の新芽は真っ黒に焼けこげ、無残な畑へと変貌するのだ。葡萄がピノ・ノワールの場合一番花がダメージを受けると樹は大急ぎで二番花を仕立て、開花させるのだ。
シャルドネは二番花をつけない。ダメージをくらったまま収穫までの100日ちょっとを過すのだ。そして8月ブルゴーニュではいきなり黒い雲が現れ、雹を伴った暴風と化しあっという間に畑におそいかかる。20~30分の短時間だが雹を伴う大風で見事に畑を打ちのめしていく。収穫間近のぶどうは一粒ひとつぶパンパンに膨らんでおり、そこに雨・雹が打ち付けると皮が破れ周りにいる雑菌が襲いがかり病気に発症させる。
防ぎようのない雹は実も葉も枝も痛めつけ、これまた無残な姿に。ブルゴーニュの天候は、誠にマイクロ・クライメット(ミクロ・クリマ、極小気候)道一つ隔てた畑の上には青空で畑は無傷。遠くから黒雲を見ていると谷から谷へ移り進んでいった後には目も当てられない光景のみが残されている。
異常気象下で生きていかなければならないブルゴーニュ、ボルドーはじめ生物が被る変化
運の良しあしがハッキリ出ているアメリカの大たつまきの通ったあとの被害の出方に似ている。この数年前から8月の嵐はひんぱんに起き、その被害は半端なくこれも温暖化のせいなのかと考えてしまうが、自然の猛威の前に人の手のなんと無力なものか。
2017年には大西洋に面している海洋性気候の恩恵を受ける。
ボルドーでも8月の嵐が襲いかかりボルドー全域ではなかったが確かに被害は出ており驚きました。
雨が降らなすぎての干ばつによる被害ならともかく、何故ボルドーに?夏の嵐が?
それこそオスピス・ド・ボーヌののワインを取得していた20年前には思ってもみなかった気候の変化、地球環境の変化。全ての農業がこれから先いかなる気候のもと収穫へとこぎつけるのか。特に開花から100日必要なぶどうとの関わりをどのように手当てすべきなのか。人の手、人の知恵だけで乗り越えられるものではない。正しく神様の思し召し、自然の大いなる力にゆだねるのみ。今年もおいしいぶどうがとれ、おいしいワインを作ることができた、と何千年前から続く収穫感謝のお祭りの意味が深く感じられるようになったのです。自然と人のたゆまぬ協力のもと、これからもおいしいワインが飲めますようアーメン。でございます。
誠に教会が、何百年もの間ブルゴーニュのワイン作りに残してきた努力のあとは、今なお揺るがず、実り続け、ブルゴーニュのワイン作りに携わる人々の根底にある「我が畑はそれ一人のものにあらず、次世代に健全に渡すべし」の考えのもと先祖代々の家宝である畑を自然との共生のもと守り続けている。
ミレーの画の「晩鐘」この画を見るたびにブルゴーニュの農民を思いおこします。
ブルゴーニュでの食事とワイン
まずはボーヌの街へたどり着くのに驚いたこと。
私がこのワインの世界に首を突っ込んでから早三十数年
あの頃のブルゴーニュは、ディジョンからリヨンまでの一直線の道。今はディジョン~マコンボジョレーは抜けて単独の産地になりました。
ディジョンは南仏マルセイユ、スイスのチューリッヒ、パリ、アルザスへと八方に路線が伸びて、いわゆるハブ駅。街も中世の面影を残す風情のあるところです。
ディジョンからボーヌへは鈍行で2駅。乗り場のホームは屋根付きのホームから100m以上離れた青天井、あまりの遠さに(発車時間が迫っていたのと、指定されたホームの意外な位置関係とで)日本語で待っとってぇ~乗るから~とわめきつつ走りましたところ、乗りたい一心のわめき声はどうやら言葉の壁も壊すようで(笑)制服を着て帽子をかぶったお姉さん笑顔でOKOK(^-^;
とにもかくにもボーヌの駅に降り立つことができたのです。
が、この駅も一番ホームと二番ホームしかなく、二番ホームに着いちゃった私。
一番ホームに繋がる地下階段を降りて登ってどえらい体力を使いましたが、駅前にタクシー乗り場はなくエエ~~~~どうする!そこんとこはおばちゃん根性がものを言って駅まで乗り付けてきたタクシーの降車を見届けてから乗っけてよ!と。
これまたジャパニーズでの声掛け。「ウィ」の返事をもらいついでに他の人たちのタクシーも呼んでもらいホテルまでたどり着きましたが、ブルゴーニュワインの中心地ボーヌの駅としては不似合いなほどのローカルカラー。これはどーしたものでしょうね。
駅から旧市内(昔は塀で街全体を囲ってあったんです。ボルドーのサンテミリオンみたいね)へ入る途中、日本の回転寿司のお店を見ましたが、看板には「ノン、ストップ、ラウンド・スシ」とありました。分かりやすいです。
ホテルは塀の外で街には徒歩3分。大きな道を渡ったら旧市内。その中にオスピス・ド・ボーヌのオテルデュ教会併設の病院もあり、夜の9時過ぎて一人でミネラルウオーターを買いに出ましたが、何の危険もなくとても穏やかな夜の街。酔っ払い一人もいないんです。
ブルゴーニュでの朝食、あのクロワッサンは美味かった!
フランスでの食事は、ボルドーでもブルゴーニュでも朝食はホテル。メニューは大体どこも同じで、クロワッサン、食パン色々、バケット、少し甘めのチョコレートとかオレンジとかイチゴとかの菓子パン風、どれだけ食べても可。入りませんけどね。ゆで卵の機械に、スクランブルエッグ、ベーコンの焼いたん、ソーセージ色々、ハムに生ハム色々。ブレーンヨーグルトにチーズ2~3種。果物はありましたが、野菜類は滅多にありません。せいぜいスライストマトの上に何ぞ混ざったパン粉乗せたものを焼くとかで、毎朝同じでも焼き立てのクロワッサンが美味しく、ハムもチーズも旨すぎてち~っとも飽きがこない。珈琲は大きな珈琲メーカーがあって、珈琲、紅茶、お湯、どれでもボタン一つ出てくる。ホットミルクもあってカフェ・オレも可。
ミネラルウォーターの自販機の色んなタイプのものにも慣れて不自由しませんでしたが、毎朝の珈琲も困らずにいただいておりました。
※この朝食ホテルの格にもよるのでしょうが、名前は忘れましたが、パリのホテルでは日本のようなバイキングで不足していた野菜をたっぷり仕込んだ記憶があります。
※イタリアのフィレンツェのホテルでは思わず笑みがこぼれるほどの野菜料理、茄子の焼いたの、名前は知らねど、野菜のクリーム煮の美味かった事!あっぱれフィレンツェでありました。
ブルゴーニュのランチ(ボルドーのケータリングの話あり)
で、昼食。
オーナーさんとのランチは、LeChassagneモンラッシェ村のレストラン。村のレストランは
ここ1ヵ所のみ。超有名なレストランは村には、ここ1つしかなく世界中の有名人、巨匠がここで
食事、お店には日本人のソムリエが一人、彼が言うには「パリの一流店で仕事していても
一生会えない方々がご来店になるのでかなりの刺激と向上心とをいただいております。」とのこと。そうです、賢い人だと心底思いました。現在どちらでお仕事なさっているのでしょうね。
ボルドーではたいがい訪問先のワイナリーでオーナーさん囲んでのランチ。
ケータリング会社がテーブルクロスにお花、食器、料理、サービスのウェイターまで揃えて対応してくれます。キッチンを借りて温かいものはあったかく心地よいサービスです。
いつも私が一番の年長者で一番にサービスを受けていたのですが、一度だけ微妙に年齢の
近いマダムとご一緒した時、ウェイターは彼女と私とどっちに先にサービスするのか迷ったあげく数人でソーダン。結果私が一番、ってことは私が一番の年長者にみえたってわけで、全くのババア上等!って話しです。
たまにワイナリーから開放されての昼食の時はそれこそ入りやすそうなレストランで4~5人で入り全部異なるものをオーダーして、全員でまわし乍ら全種類を食べてみる、これは楽しいランチタイム。それ以外はしっかりとオードブル(たいがいフォアグラ)、サラダ、牛か鳥か魚のどれか一皿とチーズとデザート。くる日もくる日もフォアグラ・・・・・。日本人はフォアグラが好き、なんて吹聴した奴はどこのどいつだ!
ブルゴーニュでの夕食のお話
夜もきっちりフォアグラ、魚、牛、チーズ、デザート、全部平らげることは不可でしたね。ブルゴーニュのランチは、招待なしでディジョンで食べたハンバーガー、丁度の量で体への負担がなく良かったですが、オーナーさんとのランチでは、夜はドレスアップ必須のお店の昼の部の入り口も何もかも異なるいい感じのお店で、貴族の趣味のキツネ狩りのあと集まるような部屋で中々味わえない一と時でしたね。広い敷地には料理に使う野菜、ハーブ類が無農薬で育てられており、夏のバーベキューの場所とかため息が出るほど、リッチでした。
あちこち動き回り時に胃に負担がかかりすぎたなあと思ったときは可能な時のみですが夕食を一食ぬく、又はボーヌの旧市内のおソーザイ屋さんで体にやさしそうなもの1つ2つ買ってホテルの部屋で食べる、すると翌日はすっかり回復。何んなく一日のスケジュールをこなせましたので人間ハラ八分目は正しいようです。
ブルゴーニュでいただいたワインのお話
ブルゴーニュの食事にあわせていただくのはブルゴーニュの白ワインと赤ワイン、
シャルドネとピノ・ノワールです。
ミネラルの多い土壌のシャルドネはイキイキとした心地よい酸味が体のすみずみまで活力を与えてくれ前菜のフォアグラや季節の野菜のマリネ、バター風味たっぷりのパイ包み、相乗効果で旨味のすごかったこと、
赤のピノ・ノワールも上品な酸味と旨味、甘味、渋味のバランスのとれた味わい、エレガンスを味わい、いただく、の言葉通りです。
ブルゴーニュでいただいた食事とワインから思いついたこと。
ここで私、思いついたことがあります。
私の住まう七尾は石川県能登半島の入り口にして能登の中核都市、穏やかな海沿いにそって和倉温泉を抱える農業、漁業、水産加工業の穏やかな町です。
車で1時間の距離に石川県の中心、金沢があり、この1時間の距離が隔てる空気感が大きくきらびやかで華やかで美食の街、金沢とは一線を画す、が四季折々の海の幸、山の幸にはどなたもが目を細め舌つづみを打ち、七尾の街の得がたい食の豊かさに魅了されます。
こんな七尾でワインを紹介しつづけ早や四十年、西田の酒屋の嫁の道楽と揶揄され乍らへへッと笑い飛ばして、興味とほんの少しの向学心とでここまで続けてきました。
フランスに行ってワイン産地にどっぷり浸って七尾の街で私もワイン会をやってみようと奮闘しだして、さて、どこでどのお料理でこの30年の間にいろんな所でお料理とワインのマリアージュを楽しんできましたが、やり始めた当初は七尾の街のすぐれたところは鮮度の良い魚貝類とずーっとつちかわれてきた和食の料理人の腕のたしかさ、心意気、全てがたいしたもの。
これでやってみよう、と、フランス料理でのワインリストを作るより季節感を出した懐石料理との方がピノ・ノワールの上品で酸のたっぷりある優美な味わいを引き立て、満足度の高いマリアージュが完成されたのです。ピノ・ノワールは世界中のどんな料理とも楽しめると思います。
こんな経験から特別な日の食事、例えば一月一日のお正月のおせち料理(贅を凝らした海の幸、山の幸のお重づめ!)には特別な1本のピノ・ノワールがよろしかろうとご紹介いたします。
オスピス・ド・ボーヌMadame SAKURAKO おせち料理にもぴったり
上記でお話した通りピノノワールは、懐石料理にとても合います。
何故ならタンニンがくどくなく、ほどよい調和がとれ上品であるからです。
甘みと酸味のブルゴーニュ
若いピノは甘さを先に強く感じる
熟成していくと、味わいに奥行きが出てきてワインだけでも楽しめる。
ピノノワールは酸がしっかりあるので、和食の酢の物、あえ物煮物との違和感がなくまた、年の初めのお正月の祝い膳であるおせち料理にはふさわしい格調の高いハレのワインなのです。
特に20年ものの「オスピス・ド・ボーヌ・コルトン2001マダム櫻子」は味わいに厚みが出ているので、是非とも経験してもらいたい。
オスピス・ド・ボーヌ・コルトン2001マダム櫻子のご購入はこちら
マダム櫻子のワイン教室(2015年4月)でテイスティングしました。
私マダム櫻子は、「聞いておもろい、飲んで楽しい、色んなものが身につくワイン教室」を2006年6月にスタートし、毎月1回、不定期に開催しています。通算150回ほどになるでしょうか。2020年よりコロナ禍でオンライン教室を開催しています。
リアルのワイン教室が開催されていた2015年4月にこのワイン「オスピス・ド・ボーヌ・コルトン2001マダム櫻子」をテイスティングしました。
当店での当時の記事は消えてしまったのですが、ワイン教室参加者のT氏がブログ(下記リンク)にてアップしてくださっています。
T氏のコメント
七尾駅まで送迎してくれる西田酒店のワイン教室は7種のワインを楽しんで3500円と超良心的な内容だ、ピノ・ノワール100%のコルトン2001年が今回の目玉
『今回の目玉は6番目トリの赤ワインだ。
ピノ・ノワール100%のコルトン2001年もの。なんとこのワインには当店(西田酒店)のソムリエであるマダム桜子の名前がラベルに「Madame SAKURAKO NANAO ISHIKAWA」と印字されているのである。
この6番目のワインは1本@14040円と、なかなかのお値段。だが、この希少価値にはびっくりで、マダム桜子氏にご縁のある方にとっては記念日ごとに開けて楽しむにはいいかもしれない。ピノ・ノワール独特のエレガントな香りと高級感ある酸味が好きなひとにはたまらない逸品だ。
飲み終えたあとのグラスにはオリが残っていた。これがまた楽しい。』
T氏曰く、とにかく6番目のワインを語るマダムは凄かった!
その思いは今(2023年)でも強く心に残っているし、美味しいワインだった。とのこと。
あれから8年の時を経ているのでどう熟成されているか検証してみたいものです。
マダム櫻子現在の心境
あれから22年私も齢72歳を迎え充実の日々を送っております。
今なお現役で仕事をし世界中のワインの情報にうさぎ耳をピンと立てて新しい産地、斬新な考えによる醸造など興味と好奇心の尽きることはありません。
わたしが集めたワイン達はオスピス・ド・ボーヌ購入をきっかけに建てたワインセラー内で熟成させてのワインの変化を愛でる、私のスタイルはオスピスを手にした時から始まり、ワインと共に生きてきたのだと実感。
素晴らしいワイン達に出会えたことが無上の喜びです。
今後の夢はブルゴーニュの秋、収穫のときの摘み取り手たちの後方支援として朝、昼、晩の食事作りのお手伝いに入り、全ての仕込みが終わったあとの全員参加の打ち上げの食事会で例の♪ラ・ラ・ラ♪を手振りし乍ら歌いまくりワインを飲みまくる、それもこれも気力、体力、柔軟性が必要。
齢72の私(2023年現在)残された時間は、あまりないかも・・・・・。
容量 | 750ml. |
生産国(地方) | フランス ブルゴーニュ |
ヴィンテージ | 2001 |
ぶどう品種 | ピノノワール |
タイプ | フルボディ |
購入はこちらから
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このワインに興味をお持ちになり飲んでみたいという方はぜひお店に来てお話ししたいところですが、なかなかお店まで行けないという方は通販サイト(ヤフーショッピング)でも購入できますよ。マダム櫻子の人生を変えたブルゴーニュのワインです。お試しあれ。
なお、このワインは6本入の木箱だと特別なラベルが貼ってあります。6本入の木箱でほしいという方はメールフォームからメールにてお問い合わせください。木箱入りワインは超限定なので無くなったらごめんなさいね。
マダム櫻子の紹介
西田酒店の西田櫻子です。33歳のときロシアの船員さんに「マダム・サク~ラ」と呼ばれた衝撃があり、そのときからひと様からも「マダム櫻子」と呼ばれるようになってしまいました。けっこう気に入ってそのまま通称としています(笑)
ワインやお酒を触らせておけば機嫌がいい私。とくに熟成感ある渋~い赤ワインが大好きです。ワインのこと、いっぱいお話ししたいです。ぜひともお店に来てくださいね。
【保有資格】
日本ソムリエ協会認定 ソムリエ(1992年)
日本酒サービス協会、酒匠研究会連合会認定 きき酒師 (1996年)
フランス食品振興会認定 コンセイエ(1998年)
ワインの輸入免許取得(2014年)
有限会社西田酒店
住所 : 〒926-0015 石川県七尾市矢田新町ホ部58
電話番号 :0767-52-0258
営業時間 :9:30~19:30