永遠のアリとキリギリス

部屋を片付けていたらこんな本が出てきました。

ずいぶんと古い本、しかも英語。おそらく英語の勉強のために教科書だけでは分からなかったのでその参考書としてどこかの書店で買ったものだと思います。

ところでイソップ物語のイソップって意外と知らない人が多いんじゃないでしょうか?イソップは歴史上の人物です。紀元前619~紀元前564に活躍した古代ギリシアの寓話作家だそうです。55歳で亡くなったんですね。ただイソップやaesopで検索すると化粧品やお店ばかりが表示されてこの寓話作家イソップの項目は出てきません。aesop greekで検索すると表示されました。またギリシャ語ではアイソーポス(スペル表記できませんでした)というそうです。

よく知られている物語を3つ紹介します。まずはうさぎとかめですね。

うさぎはラビットじゃなくてヘア(こういう発音でしょうか?)というんですね。大型の野うさぎで男性、一方カメの方はトータスで女性という設定、普通は逆じゃないかと思うんですが。まあこの物語の結末はうたた寝をしていたうさぎがその間にゴールにたどり着いたカメに負けるというとくに言うまでもないんですが。教訓が重要です。その教訓は、遅くても着実な人が競争に勝つ、ということです。言い換えると、急いては事を仕損じる、とか、大器晩成、とか、ローマは一日にして成らずとか、一朝一夕とか、いろいろありますね。ただ一朝一夕の場合は後にできないという打ち消しの語が必要ですが。

次は北風と太陽です。ただ恥ずかしながらこの物語のことをよく知りませんでした。タイトルは北風と太陽ですが、そのやり取りではなく間に旅人が入るようですね。で、その北風は冷たい風を吹いて旅人を苦しめようとしますが、旅人はコートを着ていたので冷たい風が当たってもコートが守ってくれて安心だし、強く吹けば吹くほどそのコートが旅人の身体に巻き付いて守ってくれたわけで最後は北風が去って代わりに太陽が姿を現し旅人を温めてくれたというお話です。というわけでその教訓は、親切は怒りよりも偉大である、ということです。

最後は木こりと女神ですね。ある日、木こりは木を切っている時にあやまって斧を泉に落としてしまった。すると泉の中から金の斧を持った女神が現れた。あなたが落としたのは金の斧ですかと尋ねられた、しかし木こりは正直にいいえ、私が落としたのはそのような立派な斧ではなく鉄の斧です。と答えた。女神がもう一つ別の銀の斧を差し出しても、その斧も違います。鉄の斧ですと答えた。すると女神は木こりが正直者であることを認め、すべての斧を渡したという有名なお話です。まあ教訓は、正直者は救われるとか、正直は身を助くということですね。ただこの話を聞くと、ドラえもんのあるひみつ道具がでてくるのです。第36巻にありました。木こりの泉です。内容を簡単に説明しますと、ドラえもんの大好物であるどら焼きをのび太のパパがあやまって食べてしまった。いや正確には食べている途中でドラえもんに見つかったので食べかけのどら焼きは残った。のび太にまた買えばいいじゃないと言われても、いやあのどら焼きがいいんだものという一辺倒(どら焼きにもランクがあるらしい?)。そしてそうだあれを使おうと思いついて出てきたのがこの木こりの泉。そしてあのイソップ物語の説明が始まり、いずみの中に食べかけのどら焼きを投げ入れる。すると大きなどら焼きを抱えた女神が現れ、あなたが落としたのはこのどら焼きですかと尋ねられた。もちろんここで嘘をつくと何にももらえないことを知っているドラえもんはいいえ落としたのは食べかけのどら焼きですと答えた。すると女神は大きなどら焼きをドラえもんに渡した。しかしここからです。食べかけの方はかえってこないのです。のび太に聞かれても、そこんとこは童話と違うのという返事。しかしこのさり気ない設定の変更が、後に功を奏します。作者の機転の利かせ方でしょうか?非常にうまさを感じます。欲張り者でおなじみのジャイアンが重たい(古くなって要らない)荷物をたくさん背負って泉の前までやってきます。しかしいざ荷物を降ろそうとすると、はずみで体がよろけてジャイアンが泉の中に落ちてしまうのです。そしてあなたが落したのはこのきれいなジャイアンですか?いいえもっと汚いの!あなたは正直です。このきれいなジャイアンをあげますというオチになるわけです。ですから童話の通りだとどちらのジャイアンも戻ってきますから、このオチにはならないわけです。

ところでタイトルは不滅のアリとキリギリスでした。これも有名なイソップ物語のひとつです。これも特に説明するまでもありませんが。とにかくよく働くアリとほとんど働かないキリギリスがいました。いや、というよりも春から秋にかけてせっせと働くアリと冬に働こうと考えるキリギリスがいました。じゃあ春から秋までキリギリスは何をしていたのかというと歌ったりヴァイオリンを演奏したりしていたわけです。そして冬がやってきました。アリは一年中働いたおかげで食糧を確保し飢えに苦しむことなく休むことができましたがキリギリスは演奏に磨きをかけて演奏会を開いてその腕前を披露しようにも寒すぎてお客さんが誰も来ません。結果、キリギリスは飢えて死んでしまいました。ていうかこの結末。なんとなく一番はじめに紹介したうさぎとかめに似ていますね。

まあ結局は権利と義務ではありませんが、仕事(という義務)をしたから報酬(という権利)が与えられるわけで、アリはビジネスを行ったわけであり、キリギリスは行わなかったわけです。もしくはコツコツと貯金をしたグループかその反対の浪費をしたグループかと分けることもできるかもしれません。もちろん浪費が必ずしも悪いわけではありませんがたくさんあったお金が気がつけば無くなりつつある、あるいはもうすでに無くなってしまったなら見直す必要があるでしょう。何事にも程度というものがありますが、浪費ができる人はできる範囲内で浪費をし、できない人は浪費ができるようになるまで貯金をする、という考えで最近1日を過ごしております。と言う自分は少なくとも10年~15年前にかなり浪費をしてしまったという自覚があります。そのころは完全にキリギリスだったわけです。

結局はお金を貯めるか使うかの選択肢が与えられているわけですが、とにかく使うことは容易いわけです。と言っても使わなくては生活できない。やはり程度の問題ですから。収支のバランスですね。というわけで永遠のアリとキリギリス問題なのでした。

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