本当にこれでいいんですか

今から15年前になりますが、当時ぼくはある教本と格闘していました。それがこれです。

ドイツの作曲家ヒンデミットが著した和声学という硬い教本ですが、中身は文章がほとんど書かれておらず練習問題ばかりという学習者が悲鳴をあげさそうな不思議な教本でした。

これをある音楽教室で講師をされている作曲家に見てもらいました。その講座は主に先生が生徒の課題をピアノで弾いて合っていれば〇をつけ間違っていれば×をつけるわずか30分で終わるこれまた不思議な講座でしたが、まず初めてのレッスンで言われたことは。自由に作曲をやりたいのか、それとも和声学や対位法など音楽理論を学びたいのか、そのどちらかを問われました。どっちがいいか。意外にも悩みました。しかしすでにヒンデミットの和声学の課題を自分なりにやってきたし、ピアノの上には二声対位法(池内友次郎著)という非常にお堅い教本が載っていたので、その流れで和声学を学びたいですと言いました。そしたら何かテキストはありますか、と言われたのでその教本とノートを差し出すとパラパラと見られて、ああ結構やってますね。じゃあこれで行きましょうということになったわけです。
最初のページは、初めてにしてはかなり合ってますね、なんて褒められたりしましたが、課題が段々難しくなってくるとつい、いい加減にやってしまうクセもあったりで、連続で×が続くとかなりご不満なお顔をされていたことを思い出しました(それもそのはず、和声学のレッスンは最初からスタートしているが、実際はそれよりも先に進んでいて、いやとくに理解もせずに進んでいるだけでそれをノートに写しているんですから、当然間違えます)。

そしてこの写真はレッスン初日の課題ですが明らかに間違いが認められますね。連続5度、連続8度。導音(ハ長調で言えばシの音)重複、そういえばブログに作曲のプロでありレッスンでは添削のプロと書かれていたことを思い出しました。まあピアノを弾いただけで即座に連続5度と8度がわかる方はあまりいません。そして左のページは、和声学とはまったく関係がなくなんとなくジャズっぽいものを書いた覚えがあるんですが、一応目を通して首をかしげられながらもノーコメントでした。

とは言え、最終的にはソナチネの課題まで行きました。冒頭にFl. oder Vln.と書かれてますが、要するにフルートかヴァイオリンのパートです。それにピアノ伴奏をつける課題、まあ課題の出来不出来は別として、♮(ナチュラル)がよく抜けてますね。

結果4年かかりました(1問も間違えない人だったら1年未満で終わると思いますが)。なんとなく覚えていることは。

こんにちは
合ってます。
テノールとバスの間が離れすぎですね。
このAisの和音は(もちろんアイスクリームのアイスではないがぼくはそっちを想像してしまうことが)
導音が重複してますよ。ヒンデミットも認めてるんですか?
3に/のような斜線が入る(第3音が抜けているという意味、当然無言ですごく速く書かれた、かなり痛い恥ずい)
(Bewegt 感動してという課題を弾いて)感動した!(さすがに引きました 20年前の元首相のような)
ここからここまで直してきてください。
さようなら
ここはどうしてこうなるんですか?本当にこれでいいんですか?

この最後の発言、最初はブログに書かれていたので、ああそうなんだなあと他人事のようにとらえていましたが、いざレッスンでそれを言われると、まるで鳩が豆鉄砲を食ったように、何も答えられなかったのがつらかったです(苦し紛れに、はいその通りですと言ったかも)。ていうかこんなシンプルな質問、学校の先生にも言われたことがなかったのに、まさか作曲の先生に言われるなんてまったく想像もつきませんでしたが。これはやられました。ぼくもいつか言ってやろうかと思います(誰に?)。

あとは作品を送ったことがありました。あ、作品と言っても曲じゃないですよ。酔いのまわる作品です。後日ブログに載ってました。石川の美酒をいただく、と。

ただレッスンでは初級、中級、上級の3コースがあって、ぼくは初級でした。確か初級は和声、中級がソナタ、上級が変奏曲だったような気がします。しかしブログにはオーケストレーションを教えることもあって、と。これまた意外でしたが、和声学の課題だけで手一杯で教わることができませんでした。しかしブログにはオーケストレーションに対する考えというか心構えみたいなことが書かれていました。それはとにかくスコアを眺めて想像する、いわゆる心の耳で聴けというものでした。もちろん音楽を聴きながらスコアを読む人もいるかもしれませんが、それに関してはそもそも主体的ではないし、そのうち飽きるという返答でした。

ただやはり現代音楽の作曲家でした。ブックレットとフォンクションズという作品(芸大フィルハーモニア演奏)を試聴音源で聴いたことがありますがどちらの作品も最初から最後までなんじゃこりゃ!でした。
しかし一方で、すもうの歌というものがありました。はっけよいのこった、のこったはっけよいの繰り返しのような。作詞作曲、そして歌というハードルの高さ。これまたなんじゃこりゃ!でしたが。

作曲を学んでいる人は風変わりな人が多いと言われているようです。そういう自分もこの先生ほどじゃありませんが風変わりであることを認めます。

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